2013/05/14(Tue)
 木は  桂。五葉。柳。橘。
 そばの木、はしたなき心地すれども、花の木ども散りはてて、おしなべたる緑になりたる中に、時もわかず濃き紅葉のつやめきて、思ひかけぬ青葉の中よりさし出でたる、めづらし。

 檀(まゆみ)更(さら)にもいはず。そのものともなけれど、やどり木といふ名いとあはれなり。榊、臨時の祭、御神樂のをりなどいとをかし。世に木どもこそあれ、神の御前の物といひはじめけんも、とりわきをかし。

 くすの木は、木立おほかる所にも殊にまじらひたてらず、おどろおどろしき思ひやりなどうとましきを、千枝にわかれて戀する人の例にいはれたるぞ、誰かは數を知りていひ始めけんとおもふにをかし。

 檜、人ぢかからぬものなれど、みつばよつばの殿づくりもをかし。五月に雨の聲まねぶらんもをかし。楓の木、ささやかなるにも、もえ出でたる梢の赤みて、同じかたにさし廣ごりたる葉のさま、花もいと物はかなげにて、むしなどの枯れたるやうにてをかし。

 あすはひの木、この世近くも見えきこえず、御嶺に詣でて歸る人など、しか持てありくめる。枝ざしなどのいと手ふれにくげに荒々しけれど、何の意ありてあすはひの木とつけけん、あぢきなき兼言なりや。誰にたのめたるにかあらんと思ふに、知らまほしうをかし。

 ねずもちの木、人なみなみなるべき樣にもあらねど、葉のいみじうこまかに小さきがをかしきなり。樗の木。山梨の木。椎の木は、常磐木はいづれもあるを、それしも葉がへせぬ例にいはれたるもをかし。

 白樫などいふもの、まして深山木の中にもいと氣遠くて、三位二位のうへのきぬ染むる折ばかりぞ、葉をだに人の見るめる。めでたき事、をかしき事にとり出づべくもあらねど、いつとなく雪の降りたるに見まがへられて、素盞嗚尊の出雲國におはしける御事を思ひて、人丸が詠みたる歌などを見る、いみじうあはれなり。いふ事にても、をりにつけても、一ふしあはれともをかしとも聞きおきつる物は、草も木も鳥蟲も、おろかにこそ覺えね。

 楪のいみじうふさやかにつやめきたるは、いと青う清げなるに、思ひかけず似るべくもあらず。莖の赤うきらきらしう見えたるこそ、賤しけれどもをかしけれ。なべての月頃はつゆも見えぬものの、十二月の晦日にしも時めきて、亡人のくひ物にもしくにやとあはれなるに、又齡延ぶる齒固の具にもしてつかひためるは、いかなるにか。紅葉せん世やといひたるもたのもし。

 柏木いとをかし。葉守の神のますらんもいとかしこし。兵衞佐、尉などをいふらんもをかし。すがたなけれど、椶櫚の木、からめきて、わろき家のものとは見えず。