2013/01/15(Tue)
  藏人(くろうど)おりたる人、昔は、御前などいふこともせず、その年ばかり、内裏あたりには、まして影も見えざりける。今はさしもあらざめる。藏人の五位とて、それをしもぞ忙しうつかへど、なほ名殘つれづれにて、心一つは暇ある心地ぞすべかめれば、さやうの所に急ぎ行くを、一たび二たび聞きそめつれば、常にまうでまほしくなりて、夏などのいとあつきにも、帷子いとあざやかに、薄二藍、青鈍の指貫などふみちらしてゐためり。烏帽子にもの忌つけたるは、今日さるべき日なれど、功徳のかたにはさはらずと見えんとにや。

 いそぎ來てその事するひじりと物語して、車たつるさへぞ見いれ、ことにつきたるけしきなる。久しく逢はざりける人などの、まうで逢ひたる、めづらしがりて、近くゐより物語し、うなづき、をかしき事など語り出でて、扇ひろうひろげて、口にあてて笑ひ、裝束したる珠數かいまさぐり、手まさぐりにし、こなたかなたうち見やりなどして、車のよしあしほめそしり、なにがしにてその人のせし八講、經供養などいひくらべゐたるほどに、この説經の事もきき入れず。なにかは、常に聞くことなれば、耳馴れて、めづらしう覺えぬにこそはあらめ。

 さはあらで講師ゐてしばしあるほどに、さきすこしおはする車とどめておるる人、蝉の羽よりも輕げなる直衣、指貫、すずしのひとへなど著たるも、狩衣姿にても、さやうにては若くほそやかなる三四人ばかり、侍のもの又さばかりして入れば、もとゐたりつる人も、少しうち身じろきくつろぎて、高座のもと近き柱のもとなどにすゑたれば、さすがに珠數おしもみなどして、伏し拜みゐたるを、講師もはえばえしう思ふなるべし、いかで語り傳ふばかりと説き出でたる、

 聽問すなど、立ち騒ぎぬかづくほどにもなくて、よきほどにて立ち出づとて、車どものかたなど見おこせて、われどちいふ事も何事ならんと覺ゆ。見知りたる人をば、をかしと思ひ、見知らぬは、誰ならん、それにや彼にやと、目をつけて思ひやらるるこそをかしけれ。

 説經しつ、八講しけりなど人いひ傳ふるに、「その人はありつや」「いかがは」など定りていはれたる、あまりなり。などかは無下にさしのぞかではあらん。あやしき女だに、いみじく聞くめるものをば。さればとて、はじめつかたは徒歩する人はなかりき。たまさかには、つぼ裝束などばかりして、なまめきけさうじてこそありしか。それも物詣をぞせし。説經などは殊に多くも聞かざりき。この頃その折さし出でたる人の、命長くて見ましかば、いかばかりそしり誹謗せまし。

2013/01/10(Thu)
  説經師は顏よき、つとまもらへたるこそ、その説く事のたふとさも覺ゆれ。外目しつればふと忘るるに、にくげなるは罪や得らんと覺ゆ。この詞はとどむべし。少し年などのよろしきほどこそ、かやうの罪はえがたの詞かき出でけめ。今は罪いとおそろし。

 又(また)「たふときこと、道心おほかり」とて、説經すといふ所に、最初に行きぬる人こそ、なほこの罪の心地には、さしもあらで見ゆれ。
2013/01/05(Sat)
  猫は上のかぎり黒くて、他はみな白からん。
2012/12/30(Sun)
 小舎人(こどねり)はちひさくて、髮のうるはしきが、すそさわらかに、聲をかしうて、畏りて物などいひたるぞ、りやうりやうじき。
2012/12/21(Fri)
  雜色隨身(ぞうしきずいしん)はほそやかなる。よき男も、なほ若きほどは、さるかたなるぞよき。いたく肥えたるは、ねぶたからん人と思はる。