2013/12/24(Tue)
 わかき人と兒は肥えたるよし。受領などおとなだちたる人は、太きよし。あまり 痩せからめきたるは、心いられたらんと推し量らる。
2013/12/11(Wed)
 わかくてよろしき男の、下衆(げす)女の名をいひなれて呼びたるこそ、いとにくけれ。知りながらも、何とかや、かたもじは覺えでいふはをかし。

 宮仕所の局(つぼね)などによりて、夜などぞ、さおぼめかんは惡しかりぬべけれど、主殿司、さらぬ處にては、侍、藏人所にあるものを率て行きてよばせよかし、てづからは聲もしるきに。はしたもの、わらはべなどはされどよし。
2013/12/03(Tue)
 殿上の名対面(なだいめん)こそ猶をしけれ。御前に人さぶらふをりは、やがて問ふもをかし。足音どもしてくづれ出づるを、うへの御局の東面に、耳をとなへて聞くに、知る人の名のりには、ふと胸つぶるらんかし。又ありともよく聞かぬ人をも、この折に聞きつけたらんは、いかが覺ゆらん。名のりよしあし、聞きにくく定むるもをかし。

 はてぬなりと聞くほどに、瀧口の弓ならし、沓の音そそめき出づるに、藏人のいと高くふみこほめかして、うしとらの隅の高欄に、たかひざまづきとかやいふゐずまひに、御前のかたに向ひて、後ざまに「誰々か侍る」と問ふほどこそをかしけれ。細うたかう名のり、また人人さぶらはねばにや、なだいめん仕う奉らぬよし奏するも、いかにと問へばさはる事ども申すに、さ聞きて歸るを、「方弘はきかず」とて公達の教へければ、いみじう腹だちしかりて、勘へて、瀧口にさへ笑はる。

 御厨子所の御膳棚といふものに、沓おきて、はらへいひののしるを、いとほしがりて、「誰が沓にかあらん、え知らず」と主殿司人々のいひけるを、「やや方弘がきたなき物ぞや」とりに來てもいとさわがし。
2013/11/25(Mon)
 職の御曹司の西面の立蔀のもとにて、頭辨の、人と物をいと久しくいひたち給へれば、さし出でて、「それは誰ぞ」といへば、「辨の内侍なり」との給ふ。「何かはさもかたらひ給ふ。大辨見えば、うちすて奉りていなんものを」といへば、いみじく笑ひて、「誰かかかる事をさへいひ聞かせけん、それさなせそとかたらふなり」との給(のたま)ふ。

 いみじく見えて、をかしき筋などたてたる事はなくて、ただありなるやうなるを、皆人さのみ知りたるに、なほ奧ふかき御心ざまを見知りたれば、「おしなべたらず」など御前にも啓し、又さしろしめしたるを、常に、「女はおのれを悦ぶ者のためにかほづくりす、士はおのれを知れる人のために死ぬといひたる」といひ合せつつ申し給ふ。「遠江の濱やなぎ」などいひかはしてあるに、わかき人々は唯いひにくみ、見ぐるしき事どもなどつくろはずいふに、「この君こそうたて見にくけれ。他人のやうに讀經し、歌うたひなどもせず、けすさまじ」など謗る。

 更にこれかれに物いひなどもせず、「女は目はたてざまにつき、眉は額におひかかり、鼻は横ざまにありとも、ただ口つき愛敬づき、頤のした、頸などをかしげにて、聲にくからざらん人なん思はしかるべき。とはいひながら、なほ顏のいとにくげなるは心憂し」との給へば、まいて頤ほそく愛敬おくれたらん人は、あいなうかたきにして、御前にさへあしう啓する。

 物など啓せさせんとても、その初いひそめし人をたづね、下なるをも呼びのぼせ、局にも來ていひ、里なるには文書きても、みづからもおはして、「遲く參らば、さなん申したると申しに參らせよ」などの給ふ。「その人の侍ふ」などいひ出づれど、さしもうけひかずなどぞおはする。

 「あるに隨ひ、定めず、何事ももてなしたるをこそ、よき事にはすれ」とうしろみ聞ゆれど、「わがもとの心の本性」とのみの給ひつつ、「改らざるものは心なり」との給へば、「さて憚りなしとはいかなる事をいふにか」と怪しがれば、笑ひつつ、「中よしなど人々にもいはるる。かうかたらふとならば何か恥づる、見えなどもせよかし」との給ふを、「いみじくにくげなれば、さあらんはえ思はじとの給ひしによりて、え見え奉らぬ」といへば、「實ににくくもぞなる。さらばな見えそ」とて、おのづから見つべきをりも顏をふたぎなどして、まことに見給はぬも、眞心にそらごとし給はざりけりと思ふに、三月晦日頃、冬の直衣の著にくきにやあらん、うへの衣がちにて、殿上の宿直すがたもあり。

 翌朝日さし出づるまで、式部のおもとと廂に寢たるに、奧の遣戸をあけさせ給ひて、うへの御前、宮の御前出でさせ給へれば、起きもあへずまどふを、いみじく笑はせ給ふ。唐衣を髮のうへにうち著て、宿直物も何もうづもれながらある上におはしまして、陣より出で入るものなど御覽ず。殿上人のつゆ知らで、より來て物いふなどもあるを、「けしきな見せそ」と笑はせ給ふ。さてたたせ給ふに、「二人ながらいざ」と仰せらるれど、今顏などつくろひてこそとてまゐらず。

 入らせ給ひて、なほめでたき事どもいひあはせてゐたるに、南の遣戸のそばに、儿帳の手のさし出でたるにさはりて、簾の少しあきたるより、黒みたるものの見ゆれば、のりたかが居たるなめりと思ひて、見も入れで、なほ事どもをいふに、いとよく笑みたる顏のさし出でたるを、「のりたかなめり、そは」とて見やりたれば、あらぬ顏なり
。あさましと笑ひさわぎて几帳ひき直しかくるれど、頭辨にこそおはしけれ。見え奉らじとしつるものをと、いとくちをし。もろともに居たる人は、こなたに向きてゐたれば、顏も見えず。

 立ち出でて、「いみじく名殘なく見つるかな」との給へば、「のりたかと思ひ侍れば、あなづりてぞかし。などかは見じとの給ひしに、さつくづくとは」といふに、「女は寢おきたる顏なんいとよきといへば、ある人の局に行きてかいばみして、又もし見えやするとて來りつるなり。まだうへのおはしつる折からあるを、え知らざりけるよ」とて、それより後は、局のすだれうちかづきなどし給ふめり。
2013/11/16(Sat)
 男(おのこ)はまた隨身こそあめれ。いみじく美々しくをかしき公達(きんだち)も、隨身なきはいとしらじらし。辨などをかしくよき官(つかさ)と思ひたれども、下襲(したがさね)のしり短くて、隨身なきぞいとわろきや。